8月6日、「安倍倒せ」と叫ぶデモ行進への思い ~一人の広島市民として

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2017-08-07日記・雑記

昨日、スクーターで市役所からそごうへ繋がる大通を北上していました。
すると中電前駅付近で、警官数名が何やら規制している。
「何事?」と道路向かいの道を見やると、市民運動団体が南へ向かって
デモ行進していました。
本日8月6日は原爆の日、広島市において日常とも呼ぶべき光景です。

──しかしお囃子調で聞こえてきたシュプレヒコールは日常と異なりました。

「あべを、たおせ♪ せかい、へいわ♪」

はああああああああああ?
あまりの驚きに、スクーターを停めます。
このまま運転を続けたら事故りかねない、そう思うほどの衝撃だったので。

襲ったのは、すさまじい違和感。

どうして8月6日に安倍総理が関係あるの?
「かくを、なくせ♪」とかじゃないの?

続いて、やるせない哀しみがこみ上げてきます。

この人達は何のためにデモ行進をしているのか。
被爆者を弔うためじゃないのか。
核廃絶を訴えるためじゃないのか。
この人達にとって、きっとそんなのどうでもいい。
ただ「安倍憎し」を叫びたいだけなんだ。

泣きたくなる思いで、その場を後にしました。

帰宅して調べてみると、このデモ行進は「改憲・戦争の安倍たおせ! 8・6ヒロシマ大行進」。

読みながら溜息が出ました。
核兵器廃止条約に批准しないことを批判するのはいいけど、それなら叫ぶべきは「批准しろ」だろう。
「北朝鮮を追い詰め」って、責められるべきは核攻撃を煽る北朝鮮の側じゃないのか。
運動の裏側はお察し、それを承知で言いたくなります。

彼らが純粋に核兵器廃絶を叫ぶなら私は応援します。
例え母体が何であろうと、私が元公安庁職員であろうと。
核の悲惨さを憂う気持ちに政治的な主義や主張は関係ありません。
それが広島で育った者としての心情です。
でも彼らの文章からは、反核への想いなんてこれっぽっちも伝わってきませんでした。

反対するにも色々な形があります。
それぞれの人や組織にそれぞれのスタンスがあります。
私の価値観は絶対じゃない。
もしかしたら黙っている私より、叫んでいる彼らの方が価値があるのかもしれません。
反対しているには変わりないですし「やめろ」などと言うつもりはありません。

でも、「私は」やめてほしかった。
政権攻撃のために8月6日を利用してほしくなかった。
今日という日を何だと思っているのか疑わしかった。
ただただ、残念でした。

8月6日の悲劇で亡くなった方々には弔意を捧げてほしい。
たとえ誰であっても。
原爆の悲惨さを幼い頃から教えられてきた一人の広島市民として、切に願います。